町会の区域である丸山1・2丁目及び野方4丁目(一部)地区は中野区の北部に位置し、北側は練馬区と接します。町内の東西に「新青梅街道」、南北に「環状7号線(環七)」が通っています。町内は主に第一種低層住居専用地域に指定されており、静かな住宅街が広がっています。
丸山1丁目 1,139世帯・2,047人
丸山2丁目 1,663世帯・2,872人
野方4丁目 (2,089世帯・3,273人)の一部
2023年2月1日現在中野区町丁別人口
丸山町会は終戦後、町会活動が解除された昭和27年に、江古田4丁目町会5部という町名で自治活動をスタートした。
その当時の地名は江古田村小字籠原(かごはら)であった。その土地についての由来を物語るユーモラスな伝承話がある。昔、暴風雨で農家が農作業に使用していた籠が吹き飛ばされ、風が収まり探すと広い原っぱの一角に積み重なるようにして収まっていた。その通りの農村地帯で一面の畑だった。その後、町会の地域が余りも広いことから、江古田4丁目西町会と町名を変えて、江古田4丁目町会から離れた。
1964年(昭和39年)
住居法表示と漢字制限が関わり、常用漢字の中に「籠」という文字がなく、昭和27年に開校していた丸山小学校(現在の緑野小学校)があったので、其の名前を借りて籠原から丸山に変え、町会も丸山町会となった。今でも丸山区域内の一部の公園や歩道橋などに、その当時の「籠原」の名称が残っている。
本来の丸山は現在の沼袋区民活活動センターの辺りで、今の沼袋・江古田の一部に当たり、今も丸山塚公園(沼袋2丁目)や関東バス丸山営業所(江古田1丁目)がある。
1979年(昭和54年)
沼袋地域センターの開設に伴い「江古田・新井(新井沼袋)野方各地域センター」の行政管轄の変更により、丸山町会は地理的にも日常生活の面からも、野方の生活圏内であることから、地域住民の賛同も得て、江古田地域センターから野方地域センター区域内の野方地区町会連合会に新規加盟して、現在に至っている。
その当時の名残として、当時の江古田氷川神社の氏子とし、今でも江古田氷川神社祭礼に参加したり、消防団も当時の第7分団の所属で残っている。
註:中野区町会連合会ホームページへの会長寄稿原稿に加筆
〇引用資料
・地名を歩く丸山(昭和57.121.0朝日新聞)
・野方地域ニュース ひろば(昭和56.8清水茂太郎記)
・区政の歩み
歴代会長(敬称略)
初代 中村寅雄 二代 小林修平 三代 山本宗熊
四代 清水峯吉 五代 清水茂太郎 六代 楠本元子
七代 神﨑昭男
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